【感想】マキャベリの君主論を面白おかしく描いた「よいこの君主論」
こんにちは、新米データサイエンティストのクールベです。
本日は、架神恭介氏と辰巳一世氏による、マキャベリの君主論を使って小学生がクラスの覇王を目指す物語である「よいこの君主論」についてご紹介します。
「君主論」とは
1532年に、ニッコロ・マキャベリによる政治学の著作であり、歴史上の君主とはどうあるものか、君主として権力をどう獲得し、どのような力量が必要かなどが論じられています。
帝王学の一種ともいえるかもしれません。君主とは組織の長とも言い換えられますから、部下や後輩を持つ人にとっては、読んでおいて損はない本だと思います。
よいこの君主論の特徴
かなり灰汁の強い本かもしれません。
小学生たちのグループを群雄割拠の戦国大名のごとく、各種の行事の裏で権謀術数の限りを尽くし、一瞬の隙をつき、他のグループを飲み込んで、クラスを制覇することを目指す話です。
各戦術や策は、「君主論」を用いて解説されていて、かなり笑えて(もしかしたら苦笑かもしれない)、勉強にもなります。
私は、読んだ直後にマキャベリの君主論を速攻で買ってしまいました笑
クールベおすすめの話
マキャベリといえば、傭兵や援軍の話が有名かもしれません。
作中では、ドッチボール大会という小学生ならではのイベントとして描かれます。
ドッチボール大会を勝ち抜き君主としてアピールするために、配下のクラスメートと日々練習を行う主人公”ひろしくん”
そこに、敵の君主(クラスメート)"りょうこちゃん"から強力な助っ人を援軍として貸してあげると提案されるのですが、クラスメートの中ではその助っ人は"りょうこちゃん"の配下であり、主人公"ひろしくん"の下で大活躍しても、それは"りょうこちゃん"の手柄となってしまいます。
そこで、あの手この手を使って、この提案を断ることでなんとか切り抜けます。
援軍とは、常に第3の勢力から遣わされ、また戦力的にも強く結束力もあるため、いつ何時裏切るかわかりません。そのため、援軍の危険性ははるかに大きいと、中世ヨーロッパのマキャベリの世界観では、援軍ではなく自軍の軍備を増強することが一番と警鐘を鳴らしています。
一方で、傭兵は愚策中の愚策だそうです。
中世のイタリアでは、傭兵は全く戦争の役に立たなかったそうです。
確かに、わずかなお金で、自身の国でもないものに忠誠いを誓って本気で戦うかと、自分も戦わないと思います。
しかし、実際、傭兵同士の戦争では、八百長戦争が行われるほど、腐敗しており、できるだけ死人が出ないように、色々と決め事を行って戦争をしていたそうです。
例えば、敵は殺さず捕虜にして返す、夜間の奇襲はしない、冬の間は野営をしない、とだらだらと戦争を続けてイタリア内部でのパワーバランスを調整していたそうです。
でも、イタリア内部の戦争であればそれでよかったかもしれませんが、イタリアは内陸国なので、フランスが攻めてきたときに傭兵の八百長戦争で弱体化していたせいで、あっさりと負けてしまったようです。
この結果から、マキャベリは傭兵は雇わず援軍もよばず、自分独自の軍備をもち、そして、いざ戦争になったときは君主自ら戦争に参加し、国を統治せよと述べています。
まとめ
よいこの君主論をよんで、戦争や君主など色々な印象が変わりました。
漫画や映画、現代でも傭兵は戦闘のプロフェッショナルという印象でしたが、少なくとも中世のイタリアでは真逆など、ぜんぜん異なるということに驚きました。
他にも、
- 君主たるもの配下に奢ってはいけない、しかし他人の財産の場合は気前よく奢ってやれ
- 極悪非道には"いい"極悪非道と"悪い"極悪非道がある
- 新しく統治した土地の治め方(買収した会社の経営のしかた)
など、普段の生活にも応用できそうなことが盛りだくさんでかなり勉強になりました。
原書のマキャベリによる「君主論」が難しかったと感じたかたは最初に読んでみてもいいかもしれません。
それでは、よい読書生活を!